るびりんブログの新着ブログ記事
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東山動物園のイケメンゴリラ、シャバーニ。 息子と遊ぶシャバーニの姿を見ているうちに、 そういえば、こんな風に父親に甘えた子ども時代を 自分は送ったことがなかったことに気付いた。 私だけでなく、多くの人は、 仕事に父親を奪われて、 シャバーニ親子ほど ゆったりと遊ぶ時間を過ごしたことがないのではない... 続きをみる
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児童文学を原作とする映画「若おかみは小学生」が上映されています。 ポスターも子ども向けの絵柄になっていて自分には縁のない映画だと思っていましたが、今世紀最高の映画だったというブログを読んで気になり、たまたま時間があったので見てきました。 prehyou2015.hatenablog.com 死につ... 続きをみる
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輪切りにした木の幹や、ポリタンクなど、何の変哲もないものをおもちゃにして、飽くことなく子どもの姿。勢いをつけてプールに飛び込んでみたり、仰向けに水に浮びながら鼻の上にのせた板きれのバランスをとってみたりと、遊びながら体を鍛え、身体磨くことを自然にやっている。 こうした姿を見せてくれるのは、円山動物... 続きをみる
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多くの現代人が文明に押しつぶされようとしている。 ネクタイをはめて満員電車で会社に通い、夜遅くに帰宅する。 休日の多い職を得ながら仕事に意味を見いだせないでいる。 人が決めただけの日付と時刻に追われて生きる。 食費、光熱費、住宅ローン・家賃、学費、医療費、車の支払い。 そうして人を押しつぶす文明を... 続きをみる
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私たちは、 騙されている。 エンジン音 街路灯 家電のモーター音 電気代 水道代 電話代 豊かさと見えるものは、 私たちの暮らしから 「なんともならないことを なんとかしようとしない」 ことによる 安心感を奪った。 代わりに、 時間と金に追われ、 競争を強いられ、 不安をあおる情報をあびせられ、 ... 続きをみる
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「文明社会こそが人の本来のあり方である」と信じることはトンデモである
私たちの今の価値観は、文明社会を前提として作られている。 多くの物を持ち、多くの人が集まり、食糧を生産し、定住して、体の機能がある程度衰えても生き続けることのできる状態を前提として作られている。 でも、これは、ヒトの本来のあり方とはほど遠いあり方である。 ホモサピエンスが生まれたのが20万年前とし... 続きをみる
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規則をつくっていくひとは 自分に都合のよい規則をつくろうとする 補助金を出して自分の会社がもうかるようにしたり、 区分けを増やして試験の回数を増やして収入を増やしたり 条件を付けて、特定の仕事に付ける人の数をうんと絞り込んだり。 自虐史観を植え付けられて気がつけば リベラルなはずの外国人たちに中枢... 続きをみる
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神は虚構であり、命が実態だ。 理想は虚構であり、命が実態だ。 友情は虚構であり、命が実態だ。 母性は虚構であり、命が実態だ。 誕生の仕組みは解明されていないが、 はるか昔に命が生まれ、 命が環境を変えた。 ただ、子孫をつなぐことのできる生き方をしたかどうかだけが実であり、 神や理想や友情や母性が命... 続きをみる
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お勧めのYoutube動画を2本紹介します。 廃材天国 五右衛門風呂 ロープ遊び 一輪車の車 子どもが手作りするおもちゃ 私が子どもだった頃の暮らしを思い出します。 徒歩でしか行けない集落 小谷村真木 30年前に一度は廃村になった後、共働学舎の人たちが半自給自足で暮らすようになった集落です... 続きをみる
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『葉っぱのフレディー』という有名な本がある。 春に生まれた葉っぱのフレディが、自分という存在に気づき、成長し、「葉っぱに生まれてよかったな」と思い、「葉っぱの仕事」を終えて冬に土へとかえっていくまでの物語。 死を怖がるフレディに親友のダニエルが答える。「変化するって自然な事なんだ…死ぬと... 続きをみる
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言葉によって作り上げられた私たちの社会。 言葉によって作り上げられた私たちの社会は、あらゆる生物にとって不都合であることで、あらゆる生物の存在を許される生命の世界を破壊するものである。 言葉を得た人類(20万年ほど前に登場したホモサピエンス)が行ってきたことは、人類にとって不都合な世界を、人類にと... 続きをみる
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逆が正解→大切なことは、規模を拡大しないこと【衆院選挙によせて】
スモールイズビューティフル まだ読めていない本だが、石油危機の到来前に書かれ、原子力を扱うことの恐ろしさをすでに指摘した本として、再読を促されている本でもある。 老子の小国寡民にも通じている。 さて、私がつくづく思うのは、規模の小ささこそが大切だということである。 私たちが、自動車を利用したり、電... 続きをみる
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2017年10月14日、10年目の今年で最後になるというブックマーク名古屋の一環として開催された一箱古本市に参加させていただきました。今年で3年目、円頓寺では2年目です。 去年は、50円くらいの本もないといけないと考えて持って行った雑本しか売れませんでしたが、今年は高めの本も少しだけ売れました。 ... 続きをみる
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「社会を大きくして暮らしと社会を切り離せ」と支配者たちは考えた
動物のように暮らしていた頃と大きく変わらないままで 近代まで続いていたのが集団の規模だ。 まだサルに近い生き方をしていた頃と比べれば、 1万数千年前に定住し、農耕を開始して以降、集団の密度は濃くなり、 日常的に関わり合う相手が少し増えたのは事実だ。 それでも、普段の暮らしは集落の中にほとんど閉じて... 続きをみる
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世界に属しながら生きているのは、 遊動する狩猟採集者たちだ。 大型霊長類であるヒトたちにとって 遊動する狩猟採集生活は本来の生き方だ。 しかし、文明社会に生きる私たちは違う。 野草を取る代わりに野菜を育て 木の実を取る代わりに果樹を育て イノシシを狩る代わりにブタを育て シカを狩るかわりに羊や牛を... 続きをみる
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私たちが水を飲んで「おいしい」と感じるならそれはセイレイの力です。 新鮮な空気を吸って「生き返る~」と感じるのもセイレイの力です。 深い淵や巨大な岩を見て、人を超える大きさを感じたり、朝露のきらめきを美しいと感じるのもセイレイの力です。 本当は、セイレイや精霊ではなく別の言葉を当てはめたほうがいい... 続きをみる
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「幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector」と「島人ぬ宝」
フランスの精神科医が幸福について記し、映画化もされた、評判の高い本がある。 『幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector』 リンク先の書評をお読みいただければわかるように、私はこの本を他の方たちとは違い低く評価した。 この本よりも私は、BEGINの「島人ぬ宝」や「人間が好き」、「森... 続きをみる
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有名大人気ユーチューバー東海オンエアが蚊にさされやすいのはどんな人なのかを調査するために、自ら蚊に刺されるという暴挙に出た。コメント欄にもあるように蚊は世界中で2番目に多く人命を奪っている危険な生き物だ。とはいえ、人は自然に帰るべきだと考える私は東海オンエアの行動を支持したい。 とにかくたくさん蚊... 続きをみる
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私たちはたくさんの動物の名前を知っている。 子どものほうが大人よりもたくさん知っているくらいに知っている。 けれど、動物たちの生き方はほとんど知らない。 私が動物たちの生き方を知りたいと考え始めてから知ったこともそれほど多くはない。むしろ、あまりにも情報の少ないことに驚いている。 定住生活の影響を... 続きをみる
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ワクチン、輸血、電力、ガソリン、デジタル放送、スマートフォン、クレジットカード、遺伝子組み換え植物、インターネットビジネスなどなど、私たちの暮らしは、一方で、資源や権利、業界を独占する相手に対して、さまざまな形でいつの間にか収益を与えている。同時に、ワクチンや輸血、原発事故、大気汚染、電磁波、情報... 続きをみる
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高校卒業の頃に悪くなった目は、それ以来悪化を続け、眼鏡を作り直すたびに度が進んだ。今では眼鏡がなくては何もできない。 甘い物好きがたたって、右下の歯が親知らずを含め3本欠けたため、部分入れ歯を入れた。 こうして、50代を迎えて見ると、人の活動の最盛期は30代あたりにあり、50歳という年齢はもう、仕... 続きをみる
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足跡を残し、 野草を食べていたのは カモシカでした。 糞があったので 調べてみたところ、 カモシカの糞でした。 ウサギやイノシシではないことはわかっていたので、 タヌキかなと思いましたが、 カモシカとは思いませんでした。 野草の茎の上のほうだけを食べるのは カモシカの食べ方なのでしょう。 イノシシ... 続きをみる
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山へ行ってきました。 急な斜面と、その谷間にある平坦な湿地と、 この斜面と湿地の境界を流れる小さな流れのある、 なかなか面白い地形の山でした。 奥行き100メートルほどのほんの狭い場所です。 道のない山でしたが、湿地部分はひどくぬかるみもしない割に草木が少なく、 道路脇の藪を抜けてしまえば、なんと... 続きをみる
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『逝きし世の面影』という名作がある。 この本を読んでから 今の世界を見直してみると、 大きな矛盾に気づく。 明治維新以降日本は近代国家になって 身分制度もなくなり、 やがて普通選挙も実施されて だんだんとよい社会になっているはずだった。 実際には、 日本だけでなく 世界中が救いをなくしている。 情... 続きをみる
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私たちはゆっくり燃える命を感じる 不器用で 制約ばかりで 苦しみや 不快の多い 時間そのものを 命として過ごす。 このまま 苦しみや不快を減らし、 効率性を目指した(頭で考える)世界が 実現されていってしまうと 私たちはゆっくり燃える命を持たなくなる。 それは線香花火を楽しむ時間がなくなり、 ダイ... 続きをみる
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ハキリアリが勢力を広げることと、西洋文明が世界を覆うことは本質的に同じ
『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』を読んだ。 人類の未来を考える上で多いに有用な情報を得ることができた。 ・社会性の昆虫は単独生活を送る昆虫よりも優位である ・農耕に手を染めることで利用できる資源が増える ・葉を運ぶための専用の道を整備することで効率が高まっている ・ハキリアリたちの進化は比較的... 続きをみる
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『ほとんど食べずに生きる人』がいます。 修行として、ほぼ7日間不眠、断食、水断ちを続ける人もいます。 (『『この世に命を授かりもうして』) こうした人々は、子を生み育てるという営為の中でこうした超人的な能力を発揮しているわけではなく、そうした生物としての活動とは離れたところで行っています。 一方、... 続きをみる
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比較的テンポの速い単調な動きの繰り返しは 誰にでもできて アドレナリンを適度に出すことができる 手段になる。 特別な人だけが 訓練を積んだ果てにできて 他の人々を楽しませるものではない。 もしも、こうした歌や踊りが 人の本来の歌や踊りであったとしたら 私たちはいつかそれを忘れている。
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『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』を読んだ。 ハキリアリの話ばかりではなく、より広く社会性昆虫全体の話や、葉を切ることはしないで、落ち葉を利用する近縁種の話などが書かれており面白い。 中でも感心させられたのが、社会性昆虫は単独生活の昆虫たちよりも優位であり、より快適な環境を占めているという話だっ... 続きをみる
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子どもの頃に読んで記憶に残っている話が誰にでもあるだろう。 私が印象深く覚えているのは、バベルの塔、パンドラの箱、アダムとイブ、杞憂、塞翁が馬、鶏頭牛後などだが、その一つに孫悟空とお釈迦様の手のひらの話も印象深く記憶している。 こんな話だ(孫悟空 ソンゴクウ 中国の神話・民話 :幻想世界神話辞典よ... 続きをみる
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地球にはアマゾン川、揚子江、インダス川などの大河がある。 けれど地球上の川を流れる水をすべて集めても 地球上の水の0.00012%しかならないらしい。 (ただし、湖水や沼地には河川水の100倍以上の水がある)。 驚いたことに、大気中の水は、川を流れる水の10倍近いという(0.00094%)。 そし... 続きをみる
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映画ができ、テレビが普及して、 大根役者たちの居場所がなくなった。 代わりに、 これは素晴らしいという俳優たちの演技を楽しむことが できるようになった。 そうだろうか。 日常的に接する情報のほとんどが間接的な情報、 つまり、目の前で確認することのできない情報ばかりになった 今の生活を振り返ると直接... 続きをみる
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梅が熟してくると それはおいしそうな香りがしてきます。 もちろん残念ながらそのまま食べることはできません。 でも、程良く熟した梅干しを使い 昔ながらの作り方で作った梅干しは 食べたときにただ酸っぱいだけではない くだもののおいしさがあります。 未熟なくだものがおいしくないように 未熟な梅を使って作... 続きをみる
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去年から実を付け始めたビワが 1年でうんと伸びて 今年は実の数もずっと増えました。 買って食べるビワとは違って こぶりで種ばかりのような実です。 でも、もぎたてのビワは かんきつ類のような酸っぱさもあって ビワの木があるゆえの ぜいたくを教えてくれます。 『ビワの葉自然療法―体と心がよみがえる』
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『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』の概要説明につぎのようにある。 ピダハンはアマゾンの奥地に暮らす少数民族。 四〇〇人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。 400人を割るという表現を読んで、私は、この言語... 続きをみる
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森の外から 森の中に入ると 森は怖さを感じさせる。 森の中にいると 人は五感を使うようになる 生命に囲まれているとことを知ること 人間の力を超えた自然に身を委ねる 森は安心感を感じさせる。
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多くの人が集まり、 協力し合うこと、 分業し合うこと、 都合し合うことで できることは たくさんある。 物が行き来することで 暮らしは豊かになる。 けれど、 こじんまりとした暮らしには こじんまりとした暮らしならではの 意味がある。 そして、 本当の生き方は こじんまりとした暮らしの中にある。 (... 続きをみる
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遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ
子猫たちがようやく駆けまわれるようになったとき 母猫は遊び相手ができたとばかりに子猫たちを追いかけ そのあまりの迫力に子猫たちは狭い場所へと逃げ込んでいた。 動物園の母ホッキョクグマはふざけすぎてコグマに怒られる。 おばあちゃんオランウータンは曾孫ほど歳の離れた子どもと遊ぶ。 もちろん我が子ではな... 続きをみる
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町のあちらこちらから 力を合わせてゆったりと仕事をする人々の歌が聞こえる。 職人たちが小さな工房で商品を作り、売っている。 実用品だがこだわりのこもった愛すべき作品たち。 子どもは少し大きくなると近所の子どもたちに交じって遊ぶように 家から放りだされる。 小さな子どもを持つ男親たちは、 我が子の健... 続きをみる
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多くの実をつけながらそのほとんどがただ地面に落ちて発芽することなく吸収されていくドングリ。 多くの卵を産みながらそのほとんどが孵化直後に食われていく魚たち。 もう秋が来ようとしているのに新しく芽吹く夏の草。運命は決している。 遠く熱帯地方から黒潮によってはこばれてきた伊豆半島の熱帯魚たち。冬は越せ... 続きをみる
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目の前に美しい景色が広がっていたとしても 虚像かもしれない黒雲にばかりとらわれていると 最初は青く澄みきっていた湖面に 黒い雲が映り込み やがて周囲が荒れ地になっていく。 私たちが直接確認することのできない情報を 強烈な印象を与える映像と 巧みに選ばれた言葉によって伝えることで、 私たちは、争いに... 続きをみる
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ライオンたちは大型の獲物を狙うとき、 出陣前に互いになめ合って気合を高めるという。 (『サバンナの動物親子に学ぶ』 ハイエナたちは、巣穴を離れる時点で、 すでにどの種類の動物を狙うのかを決めており、 途中で別の種類の動物とすれちがっても 目もくれないという。 (『ハイエナの生態』) 動画を見ている... 続きをみる
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動物たちの声と同じように、私たちの肉体と強く結びついていた 当初の言語。 音と意味の間には肉体を通じて直感的に理解できる関係があり、 言葉は少なく、補助的な存在であった。 人の生活も動物たちと同じように、食べ物を得ること、 子を産み育てること、遊びながら心身の能力を高めることで占められていた。 や... 続きをみる
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大都市郊外の住宅と水田が混在する中に 自然生態園として整備された場所がある。 電動ポンプによって流し込まれた水が大きな池を作り、 子どもたちが水の中のザリガニをつって駆除したり、 水辺の草地で遊んだりできるようになっている。 その一角にテニスコート3面ほどの広さだろうか、 森が作られている。 森の... 続きをみる
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本来のフラダンスはずっとゆったりした動きの踊りであった。 本来のバリ島に観光客を喜ばせるような踊りはなかった。 フォルクローレとして有名なコンドルは飛んでいくは伝統的な音楽とは無縁であった。 これらとは少し違う事例になるが、 第二次世界大戦後に独立した国々は本来統一性を持たない地域に 無理やり作ら... 続きをみる
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明るい方を目指しながら暗黒の宇宙に達する木は地獄まで根を伸ばす
文明は人を幸せにしたのだろうか。 動物に近い生き方をしている 遊動する狩猟採集者たちの暮らしと 私たちの暮らしを比べてみると 自然の摂理に沿っているのは 明らかに前者である。 私たちは活動力の衰えた人々が大きな発言権を持ち、 対自然ではなく、対人間社会のスキルを持つ 個体が子孫を残す環境を生きてい... 続きをみる
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「こころ」はいつ誕生したのか。 人は人にだけ「こころ」があるという。 しかし、単細胞生物にも、 好みや、記憶があることがわかってきている。 ゾウリムシや粘菌がそのことを教えてくれる。 私たちの体を構成する細胞はどれ一つをとっても 全体のことなど知る由もない。 それにも関らず、私たちは一個体として思... 続きをみる
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月に土はない 土は生物の活動があって初めて作られる。 土は不衛生である。 だから、土なしで植物を育てようとする人間がいる。 しかし、土の上で育たなかった植物は 人を養わない。
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文章力の怖さは、楽しく面白い文章であれば、虚構を信じ込ませることができる点だ。 むしろ、楽しい文章でなければ内容を伝えることもできない。 そうして、事実ではない情報が事実として広まり、人間界ができていく。
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凶暴な緑 侵略する緑 阻む緑 圧倒する緑 過酷な緑 争う緑 太陽と水の恩恵があるとき 緑は強い
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私たちは目に見えない小さな生き物に囲まれて暮らし、 目に見えない空気を吸って生きる。 土に埋もれた樹の根も、 樹の幹を流れる水も、 私自身の背中でさえも 私の目には見えない。