るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

無限と有限 (アニミズムと人工物)

大都市郊外の住宅と水田が混在する中に
自然生態園として整備された場所がある。

電動ポンプによって流し込まれた水が大きな池を作り、
子どもたちが水の中のザリガニをつって駆除したり、
水辺の草地で遊んだりできるようになっている。


その一角にテニスコート3面ほどの広さだろうか、
森が作られている。


森の半分以上は立ち入り禁止の場所とされていて
うっそうと木々が茂っている。
この土地の本来の様子に近いのだろうと思える。


そうした森のもう残りの部分には、神社が祀られていたり、
小さな池が作られていたりする。


この小さな池の周りも木々が覆い、池の上の空を隠している。


そのおかげで、こんな街中の公園に
深い森の中にある沼を思わせる場所が作り上げられている。


私がこの場所を好きな理由がここにある。


水は浅く、底にたまった泥を映して深く見えるだけなのだが、
暗いおかげで底なし沼を想像させる。


わずかな森の中にさまざまな植物が植わり、
水の中にも小さな生き物たちが見える。


ほんの小さな森ではあっても人手を加えることを
極力避けてあるために、アニミズムの世界ができあがっている。


目に見えない命が潜む場所ができているのだ。


この池と周囲の森をもし整地してしまったなら、
こんなに狭かったのかと思えるくらいの面積しかないだろう。


有限な空間を無限の広さに変えるのが生命である。
無限の広さを有限な空間に変えるのが人工化である。
ここに来ると、そのことを感じる。




私たちは生物として存在している。


生物としての私たちにとって大切なものは、
私たちが感じ取る世界であって、
客観的・物理的な世界ではない。


そんな池に精霊は住んでいないと切り捨てる生き方よりも、
身近な世界に見えない命を感じ取りながら生きる生き方のほうが
生物としての私たちにとって本来的なのだ。