るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

生命にとって心地よい生き方は生命らしい生き方

逝きし世の面影』という名作がある。


この本を読んでから
今の世界を見直してみると、
大きな矛盾に気づく。


明治維新以降日本は近代国家になって
身分制度もなくなり、
やがて普通選挙も実施されて
だんだんとよい社会になっているはずだった。


実際には、
日本だけでなく
世界中が救いをなくしている。


情報も富も資源も含めて独占は進み、
私たちが入手できる食べ物は偽物ばかりになり、
動物的なあり方は許されなくなり、
ただ言葉や正しさばかりがあふれている。



明治時代に実施されたことが
こうなる理由をはっきりと示している。


人々の生活に密着した言葉(方言)を否定し、
人々の生活と一体化した村(数百人規模)を大規模化し、
現金を必要とする社会を作り、
村の共有財産・共有地を奪い、
民主主義とは完全に逆行する中央政府の強化を実施し、
法治主義によって合法的に土地を奪うことを可能にし、
その結果、公害をばらまき劣悪な労働を押しつけながら経済活動を活発化させ、
学校教育で子どもたちに価値観を植え付け、
マスメディアを整備して大衆に価値観を植え付け、
大学を整備して価値観を権威付けし、
自給自足的な生活ができる状況をなくし、
移動生活が可能な状況をなくし、
裸体を否定し、
百姓を否定し、
山から落葉樹をなくし、
農地法で縛って、百姓になることを難しくし…


こうして、人の本来のあり方である、
150人程の集団を作って、
強制力を持つリーダーを排除しながら
集団のための神話を持ち、
集団の土地に暮らし、
土地の環境と将来を見据えて、
自らの集団の将来を自ら決め、
動物たちと同じように
家族や仲間とのふれあいの中で生きる
という生き方は
完全に不可能になった。



何が間違いなのか。
それは、ヒモ男よろしく
私たちに嘘を教え込んで
仕事にせいをださせる
寄生人たちの話をうのみにすることが
間違いなのだ。
(『偽情報退散! マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている』)


私たちの本来のあり方は、
こんな馬鹿げた経済活動なんぞ
必要としていないのだ。