「文明社会こそが人の本来のあり方である」と信じることはトンデモである
私たちの今の価値観は、文明社会を前提として作られている。 多くの物を持ち、多くの人が集まり、食糧を生産し、定住して、体の機能がある程度衰えても生き続けることのできる状態を前提として作られている。 でも、これは、ヒトの本来のあり方とはほど遠いあり方である。 ホモサピエンスが生まれたのが20万年前とし... 続きをみる
「文明社会こそが人の本来のあり方である」と信じることはトンデモである
私たちの今の価値観は、文明社会を前提として作られている。 多くの物を持ち、多くの人が集まり、食糧を生産し、定住して、体の機能がある程度衰えても生き続けることのできる状態を前提として作られている。 でも、これは、ヒトの本来のあり方とはほど遠いあり方である。 ホモサピエンスが生まれたのが20万年前とし... 続きをみる
「社会を大きくして暮らしと社会を切り離せ」と支配者たちは考えた
動物のように暮らしていた頃と大きく変わらないままで 近代まで続いていたのが集団の規模だ。 まだサルに近い生き方をしていた頃と比べれば、 1万数千年前に定住し、農耕を開始して以降、集団の密度は濃くなり、 日常的に関わり合う相手が少し増えたのは事実だ。 それでも、普段の暮らしは集落の中にほとんど閉じて... 続きをみる
「幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector」と「島人ぬ宝」
フランスの精神科医が幸福について記し、映画化もされた、評判の高い本がある。 『幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector』 リンク先の書評をお読みいただければわかるように、私はこの本を他の方たちとは違い低く評価した。 この本よりも私は、BEGINの「島人ぬ宝」や「人間が好き」、「森... 続きをみる
『逝きし世の面影』という名作がある。 この本を読んでから 今の世界を見直してみると、 大きな矛盾に気づく。 明治維新以降日本は近代国家になって 身分制度もなくなり、 やがて普通選挙も実施されて だんだんとよい社会になっているはずだった。 実際には、 日本だけでなく 世界中が救いをなくしている。 情... 続きをみる
『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』を読んだ。 ハキリアリの話ばかりではなく、より広く社会性昆虫全体の話や、葉を切ることはしないで、落ち葉を利用する近縁種の話などが書かれており面白い。 中でも感心させられたのが、社会性昆虫は単独生活の昆虫たちよりも優位であり、より快適な環境を占めているという話だっ... 続きをみる
『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』の概要説明につぎのようにある。 ピダハンはアマゾンの奥地に暮らす少数民族。 四〇〇人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。 400人を割るという表現を読んで、私は、この言語... 続きをみる
目の前に美しい景色が広がっていたとしても 虚像かもしれない黒雲にばかりとらわれていると 最初は青く澄みきっていた湖面に 黒い雲が映り込み やがて周囲が荒れ地になっていく。 私たちが直接確認することのできない情報を 強烈な印象を与える映像と 巧みに選ばれた言葉によって伝えることで、 私たちは、争いに... 続きをみる
動物たちの声と同じように、私たちの肉体と強く結びついていた 当初の言語。 音と意味の間には肉体を通じて直感的に理解できる関係があり、 言葉は少なく、補助的な存在であった。 人の生活も動物たちと同じように、食べ物を得ること、 子を産み育てること、遊びながら心身の能力を高めることで占められていた。 や... 続きをみる
凶暴な緑 侵略する緑 阻む緑 圧倒する緑 過酷な緑 争う緑 太陽と水の恩恵があるとき 緑は強い
文明の支配者はヒトの本来の生き方を否定して、ヒトから搾取する
私たちが本来の生き方をしている間、 私たちは余剰生産物を生みださない。 個体数を増やすこともなければ 経済発展することもない。 貯蓄もなければ 老後や病気に備えることもない。 私たちは動物として 裸体のまま過ごし、 動物として遊び、 動物として子を育み、 動物として死を選び、 墓場も持たずに大地に... 続きをみる