るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

二つのあり方

世界を良くしていこうとするあり方と
世界をそのままに保とうとするあり方


私たちが投げ込まれた社会は前者だ


よりよい明日を目指して
こんなにも進歩した
こんな問題があるから解決しよう
こんな素晴らしいビジョンがあると聞かされる。


実際にやっていることは
死ぬべき命を救い、
生命のあり方をゆがめ、
世界中をヒトだけの場所にしようとして
ヒトさえ機械にしていくことだ。


世界をそのままに保とうとしてきた人びとのあり方は違う。


植物の育つにまかせ
実のなるにまかせ
動物の繁殖するにまかせて
すべてを無償で得ている。


できることは、待つこと、
まかせることであり、
遊動する生活から来る制限が
それ以上の人為を防いでくれている。


後者の生き方、すなわち遊動する狩猟採集者たちが作る地球は、
お金のいらない社会であり、
利己主義の影響を抑えることのできる社会である。


前者の生き方、すなわち農耕・牧畜民が作る地球は、
理想とは反対にすべての物が有償で
最も利己的な者たちの都合に合わせて作られた制度に縛られる社会である。


よりよい明日を作ろうとして始まった農耕・牧畜というあり方は、
手にしていた幸せをすべて失って
何もかもを破壊する明日を作る。






5万年前

たくさんの変わった動物たちが住んでいた。


シベリアのマンモス
北米のマストドン
南米の巨大なナマケモノやアルマジロ
オーストラリアのディプロトドン

ヒトだって、そうだった。
ネアンデルタール人(主にヨーロッパ)
デニソワ人(ロシア・アルタイ地方)
ホモ・フローレスエンシス(インドネシアのフローレス島)


そうした生物たちは、
いつの間にか少しずつ姿を消していったのだろう。


普通に見かけていたのが、
めったに見なくなり、
痕跡も消えて、
いつの間にか地上から姿を消す。


(ゾウ、サイ、キリン、カバ、チンパンジー、ゴリラなどの大型の動物が生き残ったのは、こういった動物たちの生息域の関係や、豊かな生物相を背景に、狩りにくい獲物として生き残ることができたからだったのだろうか。)


まだ現生人類が地球全体で500万人に満たなかった頃でも
動物たちは人知れず滅んでいった。


時代が下るほどに豊かさは失われているようだ。













論理やデータに殺されかけた心を蘇らせる

私たちが水を飲んで「おいしい」と感じるならそれはセイレイの力です。
新鮮な空気を吸って「生き返る~」と感じるのもセイレイの力です。
深い淵や巨大な岩を見て、人を超える大きさを感じたり、朝露のきらめきを美しいと感じるのもセイレイの力です。


本当は、セイレイや精霊ではなく別の言葉を当てはめたほうがいいのかもしれません。私たちは物理的な世界を肉体というフィルターを通して処理します。そこにセイレイがいます。


今の人類はセイレイの声を聞くのではなく、論理やデータにばかり物を言わせています。しかし、それではいけません。


セイレイの声を聞けば、私たちは子どもが安心して思いっきり遊べる生き方を欲していることがわかります。経済発展ではなく汚染されていない環境を欲し、長寿よりも今を生きることを欲し、自動車の利便性よりも、自動車のない穏やかさを欲しています。


セイレイの声を聞くと、どうやら私たちは多くの生命に溢れる世界を望んでいるように思えもします。セイレイはスマホなんて大嫌いです。


このままセイレイの声を聞かないでいると、私たちは生きる意味を失ってしまいそうに思えます。