るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

人の経済的価値を高めて家畜化する文明

東山動物園のイケメンゴリラ、シャバーニ。
息子と遊ぶシャバーニの姿を見ているうちに、
そういえば、こんな風に父親に甘えた子ども時代を
自分は送ったことがなかったことに気付いた。


私だけでなく、多くの人は、
仕事に父親を奪われて、
シャバーニ親子ほど
ゆったりと遊ぶ時間を過ごしたことがないのではないだろうか。



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無償の恵みを頼りに生きる人々を
文明化するとはどういうことか。


子どもたちを学校に集めて教育することで、
文明社会の労働者に育てあげる。
(同年代の子どもばかり大勢集めて、
子ども時代を勉強のために過ごさせるのは
極めて不自然なことだ)


さまざまな制度で生活を金のかかるものにして
金のために働くことを余儀なくさせる。
(もともとあらゆる物は無償でえられていた。
だから人はあくせく働く必要などなかった)



暦と時計を作って、人の行動から自由を奪い、
時間を売って金を得る存在に変えていく。
(あまりにも自然すぎて忘れがちなことだが、
日付や時刻は人が便宜的に規定しただけで、
日付も時刻も本来は知る必要などない)



意見が通らないうえに、
決められた法律には従うしかない
民主主義という制度を作りあげて、
主権者とおだてあげ、
努力の報われる社会だとそそのかして
勉学に、労働にと励ませる。
(未開社会について自ら学ぶことでもしないと
見えてこない事実なのだが、
現代社会よりもむしろ以前の社会のほうが
ずっと政治に個人の意見が反映されやすかったし、
ずっと民主的だったのだ)



人権、進化、理性などという言葉を作りあげて
人は動物とは違うのだと思い込ませることで、
本当は極めて不自然な生き方を強いられていることに気づかせない。
(生命の本来のありかたは
人権などという絵空事とは相いれない)



不自然な生き方を強いられる苦しさは
神をでっちあげた宗教をつくって
我慢させる。
(本物の宗教はアニミズムだけなのだ)



さまざまな趣向を凝らして
経済的価値の低かった人間を
経済的価値の高い家畜人間に変えること
それが文明の本当の目的だ。



だから人は、時代が下るほどに精神を病みやすくなるのだ。
だから人は、時代が下がるほどに多忙になるのだ。
だから人は、人生の無意味さを感じるのだ。












若おかみは小学生は大人も見たいアニメ映画だった

児童文学を原作とする映画「若おかみは小学生」が上映されています。
ポスターも子ども向けの絵柄になっていて自分には縁のない映画だと思っていましたが、今世紀最高の映画だったというブログを読んで気になり、たまたま時間があったので見てきました。


prehyou2015.hatenablog.com


死について
このアニメには、身近な人たちの死が描かれています。若くしてこの世を去った人たちがいて、残された人たちがいます。
動物たちにとって、死は身近なものです。一回に数頭の子を生む肉食獣であれば、子育ての途中で子を失うことのほうが当たり前です。子を失ったからといって、嘆き悲しんでいては、残った子どもたちを育てられません。
この映画に登場する、若い死者たちは、そんなことを思い出させてくれました。
かといって、このアニメには、主人公が身近な人の死と向き合い、絶望し、苦しむ様子は、あまり描かれてはいません。実際に身近な人の死を経験した人は、描かれていない点に落胆し、非現実的であると感じるかもしれません。しかし、それは、身近な人の死を受け入れることができないでいる主人公の姿を正確に描いた描写であるともいえると私は感じました。


目に見えない世界について
この映画のもう一つの見どころは、見えない世界の存在です。私は唯物論者で、死んでしまえばそれで終りだと考えています。一方で、私たちの肉体は、世界を生命として理解するようにできており、科学的にいえば生命を持たない物に生命を感じ取り、死者の声を聞き、木の精を見るようにできています。そうした意味では、物理的な世界は私たちにとって嘘の世界で、私たちの肉体が感じ取った生命の存在する世界こそが本物の世界です。
この映画に描かれているのは、そうした目に見えない生命の世界であると言えます。もちろん、物語ですから、上に書いたような説明を超える具体性を持っています。その点は、創作物である以上どうにもならないでしょう。
ピダハンは、精霊の姿を集団で目撃するといいます。その精霊のすがたを白人であるエヴェレットは目にすることができません。私は、動物と同じような暮らしを続けるならば、人も大人になっても精霊を目にし続けることができるのではないかと考えています。
このアニメには、神社が頻繁に登場します。私たちにとって神社という場所は、大きな木に囲まれてフクロウやヘビやムササビが住むところです。日本人にとって宗教は、そうした自然環境と切り離せないものです。目に見えない世界と目に見える世界をつなぐ場所として、神社は欠かせないものであることを思い出させてもくれます。


小さな生きものたち/医食同源/ライトアップにご注意/占い師
このアニメでは、他にも、よく考えて作られているなというシーンがたくさんあります。それが上にあげた点です。


まとめ
何よりも、シリアスになりすぎないように、コミカルなシーンが挟まれていることで、涙をながしながらもすぐに笑いに戻れるところが最高でした。
多くの死をとりあげながら、忘れさられ、商業化され、否定されていく、日本人が昔から大切にしてきた見えない世界の大切さを伝えてくれている映画だと私は受けとめました。

医療よりも、学問よりも、規模の小ささが重要

輪切りにした木の幹や、ポリタンクなど、何の変哲もないものをおもちゃにして、飽くことなく子どもの姿。勢いをつけてプールに飛び込んでみたり、仰向けに水に浮びながら鼻の上にのせた板きれのバランスをとってみたりと、遊びながら体を鍛え、身体磨くことを自然にやっている。


こうした姿を見せてくれるのは、円山動物園のホッキョクグマ、リラである。先に生まれた姉や兄が、生後1年ほどで母から引き離されて去っていったのに対して、リラはもう繁殖させるには母が高齢になったせいもあるだろうが、4年近く母グマと同居を続けて居る。


人間の子どもたちが、遊び場を失くし、遊ぶ時間をなくし、さまざまな行動を禁止される一方で、動物園という場所ではあるものの、文明さえなければ、人間の子どもたちも、そして大人も、こんな風に日々を楽しみながら生きるのだろうという、生命本来の姿を見せてくれている。





命は、残酷で、身勝手で、悲しく、あいまいでもある。そんな命が作りあげた文明社会の正体は、経済活動のために一生を費やすようにあらゆる制度が整備された牢獄である。民主主義など存在せず、企業活動を盛んにして、資本家の懐を肥やすように、理論が組み立てられ、法律が定められて、文明社会ができあがる。




ガソリンの価格を決めるのも、医療制度を決めるのも、教科書の内容を決めるのも、資本家たちである。生物の本来の姿とは程遠い人間像を提起し、人々を倫理観で縛りつけながら、巨大化されて個々人の意思を反映できなくなった社会の方向性を定めるのは、マスコミを支配し、教育を支配し、経済も、軍事力も支配している資本家たちである。




医療の向上や、経済の発展、権利の尊重などのお題目を、マスコミと教育によって与えられることで、私たちはホッキョクグマたちが見せてくれる、本来の生き方ができなくなっている事実に気づかなくさせられている。「電気もガスも自動車もない生活なんて、恐ろしい」と思い込まされているが、事実は、電気やガスや自動車がある生活のほうこそが恐ろしく、私たちの一生を支配する「大きな社会」を作りあげる基礎になっているのである。




電気もガスも自動車もなくても生きていけるたくましい肉体は宝だが、文明の恩恵なしに生存できないぜいじゃくな肉体は、負債である。大きな社会は、生命にとって危険な存在であり、小さな社会こそが安全な場所なのだ。




円山動物園より:プールで遊ぶホッキョクグマの親子 | 札幌市円山動物園ファン(Sapporo Maruyama Zoo Fan)