動物園にて
久しぶりの動物園。
檻の中の動物たちが
野生にいるときに出会ったことを想像しながら
回ってきた。
まったく目の会わない動物たちもいた。
チンパンジーやゴリラ、オランウータン、フクロテナガザル、そしてライオン。
でも、檻の前に立ち止まった私に、
何かを期待するように視線をくれる動物たちもいた。
鳥
アフリカゾウ、
ジャッカル、
スマトラトラ、
サイ。
私たちの形が私たちの生き方によって出来上がってきているように、
それぞれにそれぞれの生き方によって出来上がった動物たちの形。
今、檻の中で本来の生き方ができない動物たちは、
もう、そこに記された名前で呼ばれる動物たちではなくなっている。
私たちが、多くの限界を抱え、
臭い汗や糞尿を出しながら生きているように
動物たちも現実の物理的化学的な制限の中に生きている。
野山で出会いたくない
ニシキヘビ、ワニ、ワニガメ、オオカミ、ヒグマ、ジャガーなどの動物たち。
そうした動物たちと暮らし、
ときにはトーテムとして尊重し、
ときには狩猟の対象としてきた人々。
動物たちの中に私たちの姿を見るとき、
私たちは、この命の世界を破壊する存在であることを
思い知らされる。
ゾウも、キリンも、サイやカバも、人が作り上げた重機に比べれば何とも小さい。
恐ろしいライオンも、ヒグマも、ワニも、人が作り上げた兵器に比べれば何とも弱い。
私たちが動物たちを嫌えば、動物たちはみじんの反撃もできないままに死んでいく。
そして、その先で、私たちは私たちにとって都合の悪い私たちも殺していく。
一部の動物たちは、私の思想が、動物の世界を取り戻す思想であることを知って、
私に挨拶をしてくれていた。
私たちが世界を滅ぼさないためには、
私たちは人間としてではなく、
動物として生きていくしかない、
つまり、学校も企業もない世界で、
生きるために本当に必要なことだけに目を向けて
生きていくしないのだ。
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