るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

言葉はいらない

親と子であることも
オスとメスであることも
猫と人であることも
知らないままで
猫たちは秩序を作る。


オス猫同士は兄弟なのだが
いまはライバルとして時にケンカをする。


しかし、四六時中いがみ合うのではなく、
ほとんどの時間は平安である。


兄弟猫の一匹と、押しかけ飼い猫の雌猫は、
教えたわけでもないのにツガイを作る。
メスはときに乱暴に扱われながらも
二匹でくっついて寝ている。


私たちと猫たちの間柄も
ご都合主義のようにしてできあがっており、
猫たちは猫たちの都合で甘えてきたり、無視したりする。


こうした言葉のない世界を一方の端に置き、
言葉によってがんじがらめになった文明社会をもう一方に置く、


その間にあるのが、ピダハンやブッシュマンの生きる社会である。


ピダハンやブッシュマンには文字はなく、
裁判所もない。


言葉によって決められていくことよりも、
事実関係によって決まっていくことのほうが多い。


理念や理想ではなく、
現実に即して対処していく。


大きな数字を必要とせず、
複雑な抽象概念も少ない。


言葉による情報量が少ないほど
本来の命の世界があり、
逆に行くほどに、
言葉が作りだしたウソの世界がある、


言葉が作り出す世界は、
あいまいで流動的な現実を枠組みにはめ込んでいく世界である。
その結果、あいまいで流動的な存在である私たちは
言葉に依存すればするほど命から離れていく。


権利や義務、倫理、経済、進歩などという言葉を生むにつれ、
不自由になっていく。



言葉を優先してはいけない。