るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

この世の区切り方

おいしい
うれしい
かなしい
いたい
つらい
おもしろい


こういった言葉を覚えていくには、
子どもの頃に、子どもに共感しながら
「おいしいね」「たのしいね」と教えてくれる
大人が近くにいなくてはいけないという。


そうしないと子どもは今感じている感情が
「たのしい」なのか「おもしろい」なのかわからないまま
成長していってしまう。



教えられることがなければ、
私たちは楽しいと嬉しいを区別しないかもしれない。
哀しいと悔しいを区別しないかもしれない。
面白いと心地よいを区別しないかもしれない。


このことが示していることの一つは、
言葉によって区別を教えられることがなければ、
世界の区別の仕方は各自で見つけなければならないという事実である。


区別の仕方は、実際には際限なく存在している。
いや、むしろ、ほとんどの部分については
区別しないままにすませていくはずである。


昼と夜を区別しないかもしれず、
朝と夕を設けないかもしれず、
大人と子供を区別しないかもしれず、
家族と親類を区別しないかもしれず、
罪や罰という概念を持たないかもしれない。


区別されていない世界は
ご都合主義的な世界でもあるだろう。
区別されていない世界は
階層の少ない世界でもあるだろう。
区別されていない世界は
意志疎通のむずかしい世界でもあるだろう。



ルワンダで起きた大虐殺は、
元々は同じ民族が政治的に別々の民族に区別されたあげくに
マスメディアによって民族対立があおられた結果であったという。
ここに言葉による区別の恣意性や危険性が表れている。


また、愛や理性という言葉を作って
世界の区切り方を押し付けようとするのも言葉である。


これに対して、言葉のない世界というのは、
際限のない区切り方が可能であり、
際限のない可能性を秘めた世界であり、
物理的な事実に最も即した世界である。