るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

ちちちつち




blood
breast milk
soil


異なる言葉は異なる世界観を反映しているという。


しかし、それだけではないと思う。


色にイメージが付随しているように
音にもイメージが付随している。


そのことが、
絵を描く道具が変われば
描く絵が変わるような影響を
言語生活に与えている。


血と乳と土に同じ「ち」を含む言葉と、
これらの単語の発音に共通性を持たない言葉とでは、
まったく別の世界がつくられているのかもしれない。


それに加えて、言語ごとによく一緒に使われる表現や
類推しやすい表現も違っている。


血を分けた兄弟
Blood Brother


乳飲み子
baby


土くれ
clud


特に専門用語ではない言葉は、
言語の持つ音の印象や類推される語といった特性に大きく影響を受けるだろう。


言葉は、こうした特性と切り離すことのできない、
使い勝手の悪い道具である。


それでもできるだけ正確な言葉を使おうとすれば、
それは感情を伴わない、無意味なものになっていく。


感情を伴った言葉を使おうとすれば、
音の持つ印象や類推しやすい単語の持つ印象に
頼ることになっていき、正確性は犠牲にする以外にない。


そして、根本を考えていけば、
専門用語が主役になる世界は本末転倒した世界であり、
できるだけ言葉を使わない世界こそが
生物の生きる世界であるという事実が見えてくるのだ。