るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

動物たち

円山動物園のホッキョクグマ、ララとリラ、そしてデナリ。
子グマたちに泳ぎを教える母グマの姿や、大人になっても遊び好きな雄グマの姿、娘をプール遊びに誘う母グマの姿などを教わりました。


多摩動物公園オランウータン ジプシー婆ちゃん。
60歳を超えても元気に塔に登ったりしていましたが、2017年に亡くなってしまいました。縛られたロープをほどくことに熱中したり、子どもの相手になったりする様子は、人間そっくりです。言葉はないのに、言葉を話しているように見えてきます。


東山動植物園のゴリラ、シャバーニ一家。
人工保育で育てられた娘アニーをかわいがるシャバーニの様子は、人間の父親と娘そっくりです。メスたちにちょっかいをかけてはふざけようとするシャバーニの様子は、人ももともとスーツを着てしかめっつらをしているよりも、こうしてふざけていたのだという少し前まで当たり前にあった世界を思い出させてくれます。


我が家の4匹の猫たち。
母猫と2匹の息子猫、そして最後に加わった若い1匹メス猫という構成です。母猫にとってはとっくに大人になっていても息子たちはやはり息子であるようで、ことあるごとに舐めてやります。息子たちが母猫を舐め返すことはほとんどありません。息子たちはメス猫を舐めてやります。そして、息子の一頭が多くの時間をメス猫と共に過ごしています。猫にもこうした雄雌の情愛のようなものが存在することを、多頭飼いによって知ることになりました。




動物たち、特に比較的知能の高いだろう動物たちの姿を見ていると、文明社会が奪ったものが見えてきます。


子どもも大人も遊びが好きで、身の回りのちょっとしたものをおもちゃにかえて遊んでいたはず。


ふざけあうことや、言葉を交わさない中でのおだやかに気持ちを通じ合わせる時間、親子で過ごす時。


そうした生物としての本来の姿を犠牲にする文明の進歩とは何でしょうか。


根本的な間違いがそこにはあるはずです。