るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

明るい方を目指しながら暗黒の宇宙に達する木は地獄まで根を伸ばす

文明は人を幸せにしたのだろうか。


動物に近い生き方をしている
遊動する狩猟採集者たちの暮らしと
私たちの暮らしを比べてみると
自然の摂理に沿っているのは
明らかに前者である。


私たちは活動力の衰えた人々が大きな発言権を持ち、
対自然ではなく、対人間社会のスキルを持つ
個体が子孫を残す環境を生きている。


それは活気のない社会、
人為的な不平等が蔓延する社会、
主体性を持てない社会である。


自然の摂理に沿って生きるとき
人は不幸のなかに希望を見出す。
あきらめ、身を任せることで、
私たちを作り上げてきた進化の歴史に裏付けられた
心地よさを得ることができる、



自然の摂理に反するとき
人は希望を見出そうとして絶望する。
病が治ることを信じて苦しみを増やし、
人々の笑顔を呼ぶはずの技術が
人々の笑顔を奪っていることを知る。


ニーチェは次のように言っている。


まったく、人間は木と同じようなものだ。

高く明るい上の方へ、伸びて行けば行くほど、その根はますます力強く、地のなかへ、下のほうへ、暗黒のなかへ、深みのなかへ、――悪のなかへとのびて行く。

(ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」より)


だがしかし、実は枝の伸びる先もまた暗黒である。


私たちが自然の摂理に従って生きるとは、
私たちの置かれた絶望的な状況を受け入れながら、
暗黒に挟まれた空間に生きるということなのだろう。


それはどうありたいというありかたではなく、
どうあることが可能なのかというありかたである。


「ありたい」と願うことが
私たちを暗黒へと導くのだから。