『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』を読んだ。 ハキリアリの話ばかりではなく、より広く社会性昆虫全体の話や、葉を切ることはしないで、落ち葉を利用する近縁種の話などが書かれており面白い。 中でも感心させられたのが、社会性昆虫は単独生活の昆虫たちよりも優位であり、より快適な環境を占めているという話だっ... 続きをみる
2017年6月のブログ記事
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子どもの頃に読んで記憶に残っている話が誰にでもあるだろう。 私が印象深く覚えているのは、バベルの塔、パンドラの箱、アダムとイブ、杞憂、塞翁が馬、鶏頭牛後などだが、その一つに孫悟空とお釈迦様の手のひらの話も印象深く記憶している。 こんな話だ(孫悟空 ソンゴクウ 中国の神話・民話 :幻想世界神話辞典よ... 続きをみる
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地球にはアマゾン川、揚子江、インダス川などの大河がある。 けれど地球上の川を流れる水をすべて集めても 地球上の水の0.00012%しかならないらしい。 (ただし、湖水や沼地には河川水の100倍以上の水がある)。 驚いたことに、大気中の水は、川を流れる水の10倍近いという(0.00094%)。 そし... 続きをみる
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映画ができ、テレビが普及して、 大根役者たちの居場所がなくなった。 代わりに、 これは素晴らしいという俳優たちの演技を楽しむことが できるようになった。 そうだろうか。 日常的に接する情報のほとんどが間接的な情報、 つまり、目の前で確認することのできない情報ばかりになった 今の生活を振り返ると直接... 続きをみる
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梅が熟してくると それはおいしそうな香りがしてきます。 もちろん残念ながらそのまま食べることはできません。 でも、程良く熟した梅干しを使い 昔ながらの作り方で作った梅干しは 食べたときにただ酸っぱいだけではない くだもののおいしさがあります。 未熟なくだものがおいしくないように 未熟な梅を使って作... 続きをみる
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去年から実を付け始めたビワが 1年でうんと伸びて 今年は実の数もずっと増えました。 買って食べるビワとは違って こぶりで種ばかりのような実です。 でも、もぎたてのビワは かんきつ類のような酸っぱさもあって ビワの木があるゆえの ぜいたくを教えてくれます。 『ビワの葉自然療法―体と心がよみがえる』
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『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』の概要説明につぎのようにある。 ピダハンはアマゾンの奥地に暮らす少数民族。 四〇〇人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。 400人を割るという表現を読んで、私は、この言語... 続きをみる
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森の外から 森の中に入ると 森は怖さを感じさせる。 森の中にいると 人は五感を使うようになる 生命に囲まれているとことを知ること 人間の力を超えた自然に身を委ねる 森は安心感を感じさせる。
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多くの人が集まり、 協力し合うこと、 分業し合うこと、 都合し合うことで できることは たくさんある。 物が行き来することで 暮らしは豊かになる。 けれど、 こじんまりとした暮らしには こじんまりとした暮らしならではの 意味がある。 そして、 本当の生き方は こじんまりとした暮らしの中にある。 (... 続きをみる
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遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ
子猫たちがようやく駆けまわれるようになったとき 母猫は遊び相手ができたとばかりに子猫たちを追いかけ そのあまりの迫力に子猫たちは狭い場所へと逃げ込んでいた。 動物園の母ホッキョクグマはふざけすぎてコグマに怒られる。 おばあちゃんオランウータンは曾孫ほど歳の離れた子どもと遊ぶ。 もちろん我が子ではな... 続きをみる
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町のあちらこちらから 力を合わせてゆったりと仕事をする人々の歌が聞こえる。 職人たちが小さな工房で商品を作り、売っている。 実用品だがこだわりのこもった愛すべき作品たち。 子どもは少し大きくなると近所の子どもたちに交じって遊ぶように 家から放りだされる。 小さな子どもを持つ男親たちは、 我が子の健... 続きをみる
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多くの実をつけながらそのほとんどがただ地面に落ちて発芽することなく吸収されていくドングリ。 多くの卵を産みながらそのほとんどが孵化直後に食われていく魚たち。 もう秋が来ようとしているのに新しく芽吹く夏の草。運命は決している。 遠く熱帯地方から黒潮によってはこばれてきた伊豆半島の熱帯魚たち。冬は越せ... 続きをみる