るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

世界が私たちに属すのではなく私たちが世界に属す

世界に属しながら生きているのは、
遊動する狩猟採集者たちだ。


大型霊長類であるヒトたちにとって
遊動する狩猟採集生活は本来の生き方だ。


しかし、文明社会に生きる私たちは違う。


野草を取る代わりに野菜を育て
木の実を取る代わりに果樹を育て
イノシシを狩る代わりにブタを育て
シカを狩るかわりに羊や牛を飼う。


夜を明るく照らし、
消毒だ、殺虫剤だと騒ぎ立てる。


死のうとする命を無理やり救い、
金に縛られて意味のない仕事に明け暮れる。





本来の暮らしを続ける遊動する狩猟採集者の世界は、
私たちからすれば不足だらけに見える。


移動の多い暮らしが、多くの制限をもたらし、
楽器も彫像もなければ、着る物も食器もわずかである。


病気になっても病院はなく、
商店もなければ、映画館も図書館もない。




しかし、できることが少ないおかけで
狩猟採集者たちは幸せである。



世界は彼らのために食物も
住む場所も
死んで帰る場所も用意してくれている。


日々の活動がそのまま楽しみになり、
動物らしく生きることができる。


彼らは無駄にあがかず、
世界に属しているから幸せなのだ。


私たちは
私たちの都合が通ると考え、
世界を私たちに属させようとしているから
不幸になっていく。


飢えや死や対立は避けられない。
ならば
まばらな密度を維持しながら今を生きる狩猟採集者たちにならうことしか
できないはずなのだ。


ヒトが世界に属すと自覚することは
ユートピアや桃源郷や哲人政治を目指すのではなく
世界に組み込まれていく生き方を目指すことを意味する。