るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

明治は、戦争の時代であった

墓標は語る』を読み直してみた。アメリカは、その歴史のうち93% - 1776年以来の、239年中、222年間が戦争であるとは聞いていたが、明治維新後の日本も似たようなものであった。


明治六年*に徴兵制が開始され、士族の内乱や、義和団の乱への派兵、台湾統征など、日清・日露の両戦争の最中以外にも、徴兵された兵士たちは命を落としていた。


こうした、無益な争いを続け、人命を軽んじる明治政府に対して、農民は一揆を繰り返していた。これが、明治政府の実態であった。


明治の初めの百姓一揆。江戸時代とおなじぐらい発生したの? 町人思案橋・クイズ集/ウェブリブログ には、明治と江戸の百姓一揆の件数が記載されている。


江戸時代には農民の一揆がかなり頻繁にありました。参考資料*1によれば、天正(てんしょう)18年(1590年)から慶応(けいおう)3年(1867年)までの278年間に起きた百姓一揆は3212件だそうです。都市で起きた都市騒擾(そうじょう)は488件とのこと。その他に村方騒動(むらかたそうどう)というのも3189件起きています。

では、明治元年から明治10年(1877年)までの10年間で起きた百姓一揆はどのぐらいあったでしょうか? なお、江戸時代では、前出のように278年間で3000件余りであり、1年平均でいえば11.6件ぐらいです。いちばん近い数字を次の中から選んで下さい。

[い]25件

[ろ]50件

[は]100件

[に]200件

[ほ]400件







正解は、[ほ]の400件。江戸時代の4倍近い件数となっている。明治政府がどれほどひどい政府であったのかを私たちは知ることになる。


「維新」とは何かを考えることが戦争回避につながる。この本はそう告げている。


名著紹介『墓標は語る』 大日本帝国が戦争を繰り返した理由












*明治六年は、太陽暦の実施、証券印紙の発行開始、切支丹禁制の高札の廃止、外人との結婚を許可、砂糖の自由貿易の解禁、万国博覧会初参加、外国語学校設立など、明治がユダヤ=キリスト教文明への組み込みに他ならなかったことを象徴する数々のできごとが起きた年であった。