るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

「親の暮らしは豊かだが、子の新規参入は困難だ。ならば親と暮らそう。」とニホンカモシカやオオカミは言った。

ニホンカモシカの母親は、一年に一度子を生む。そして、次の子が生まれる前に前の年に生まれた子をなわばりから追い出してしまう。しかし、食糧が豊かな年には、そのまま居座らせることがあり、三頭の子が母親と一緒に暮らしていることもあるのである。(『野生のカモシカ』)食糧が豊かであれば、さっさと子を追いだして新しいなわばりを見つけさせればよさそうなものなのだが、実際には逆になっている。

 

オオカミの群れも不思議である。オオカミは両親と子どもたちによる群れを作ることが一般的だが、獲物が豊富になると、おそらくはニホンカモシカと同じような事情で群れに含まれる個体の数が多くなるのだ。この場合、20頭もの群れの中で繁殖を行うのは1組のペアだけとなる。獲物が豊富だからどんどん増えようというのではなく、かえって繁殖行動が抑制されているように見えるのである。


親のなわばりから追い出された子たちは、すでに他の個体のなわばりによってほとんど埋め尽くされた土地で、新しいなわばりを得る闘いを強いられる。幸運にも持ち主がいなくなったなわばりを見つけるか、弱い相手と戦って勝てば生き延びることができるが、多くの個体は闘いに破れて死んでいくことになるだろう。エサが多いからといってなわばりの数が増えるのではなく、なわばりの中の個体の密度を上げることで無駄死にを避けているように見えるのだ。


このことを二ートの増加と結び付けて考えてみると、一つの仮説が浮かび上がる。私たちの社会は、労働人口の多くが第一次産業に従事していた状態から、第二次および第三次産業に従事する状態へと変化する中で、概ね求人倍率の高い状態が続き金銭的余裕も生まれていった。しかし、なわばりの数が飽和するように求人倍率が下がる中で、親の世代は以前の状況を引きずって比較的金銭的に余裕を持っていた。このため親たちは、子を無駄死にさせるよりも自分のなわばりの中に留まることを許した。これが二ートの増加であった。このように考えられるのである。


なわばりについて調べてみると、鮎の場合は、個体の密度が高すぎると縄張りを持つことを諦めて群れ鮎として過ごす個体の割合が増えるなど、さまざまな要因がからみあっており、単純に説明することはできないようである。しかし、動物たちと私たちは、まったく同じ力学に従って行動を変えているように見えるのだ。