るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

人生にとって大切なもの

名著紹介『幸せな旅立ちを約束します 看取り士』人生を幸せに締めくくるために

書評『幸せな旅立ちを約束します 看取り士


資格をとること。

生活費を稼ぐこと。

海外旅行やスポーツ観戦を楽しむこと。

ビッグプロジェクトに携わること。

親孝行をすること。

子どもをしっかり育てること。




そんなことは重要ではないと

私たちの祖先は考えてきました。



触ったものをすべて金に変える魔法はむなしく、

お金を食べることはできず、

森さえあれば子孫は生きていけると知っていました。




そんな暮らしを締めくくるのは、

生命の宿命として、

この世を去るしかないという

事実を受け入れることでした。


しかも、私たちの祖先が暮していた世界では、

ヘビがカエルを丸のみにし、

狐がノウサギを咥え、

鳶がネズミを襲っており、

誰もが明日を知れない命と向き合っていました。




科学技術の発展で、

この本質が変ったわけではありません。





何とか助かろうと

体中に線をつながれ

もしかすると無理やり蘇生させられて

病院で迎える死に、

子孫に残すやすらぎがあるかどうか、

それを考えることが

人生にとって大切なことなのかもしれません。

常識を疑う:定住生活のデメリット

名著紹介『人類史のなかの定住革命』


書評『人類史のなかの定住革命


秘境を訪ねる探検隊は、文明と接触したことのない種族の「村」を見つける。


ありがちなストーリーである。


私たちは、人は村を作って暮らす生き物であると思い込んでいる。ところが、人に近い生き物であるゴリラ、チンパンジー、オランウータンのいずれも、群れをつくりこそすれ、定住しているわけではない。(もちろん、一定の地域を根拠地とし、そこから外れることも基本的にないのではあるが)。


しかも、私たちほど大きな生物が定住することは、環境負荷の側面からいえばほとんど考えられないことなのである。


それだけではない。定住していなければ、何の問題も生むことのない状況が、重大事件としてのしかかってしまうようになるという大きなデメリットを持つのである。


私たちにとって定住生活を送るということは、逃げ場を失い、流動性を失い、執着を強め、保守管理の雑事を増やすといった悪夢でしかないかもしれないのだ。このことは、遊動を基本として暮している人々の状況を知ることで確実になる。彼らこそが、誰もが夢見る、自由で気楽な生活を送っている人々なのだ。


秘境に住む、もっとも知られていない種族がいるとすれば、それは定住しておらず、部外者の接近を知って移動していってしまう、遊動する狩猟採集者たちであり、村を作ることのない人々なのである。

子育てにおける最初の三年間の重要性/養育者との安定した関係

名著紹介『豚と精霊 ライフサイクルの人類学』


書評『豚と精霊 ライフサイクルの人類学

「子供にとって決定的に重要な最初の三年のあいだ、ムブティの母親はいつも子供と緊密な接触をたもちながら、ふたりでひとつの存在であるかのようにすべてをわかちあっている。子供にとってはこの経験が本当に大切である。母親とのこのような関係をモデルにしながら、ムブティの子供は真に社会的な存在として「羽化」してゆく。」



人の暮らしにおいて、収入を得ることが必然ではなく、他の動物たちのように日々の糧を得ることだけで生きていけるのであれば、人はここに描かれたムブティ(森に暮らすピグミー)と同じく、子どもと母親とがふたりでひとつの存在であるかのように最初の三年間を過ごすことだろう。それをできなくしているのが文明社会であるとすれば、文明化に何か積極的に肯定できる意味はあるのだろうか。おそらくは何もない。


コリン・ターンブルが伝えいるメッセージは、ここまで拡大解釈できると私は考えている。


私たちは、実現不可能な夢を追って、元々手に入れていた幸せをなくしてしまった哀れな存在でしかないのだ。