るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

ヒト

最初は目も口も鼻も持たなかった生物が、
目や口や鼻を持つようになったのは、
当然のことだろう。


光を感知できれば、
光を感知できない生物よりも
有利なことが多いだろうから。


口や鼻も同様に、生存のために有利だったから
発達したのだろう。



知能や心もまた、同様に考えることができるだろう。
単独行動をするよりも協力し合うほうが有利であったり、
卵を生んで放置するよりも子育てをするほうが有利であったり
する状況が、知能や心を発達させたのだろう。



魚や爬虫類は知能が低く心がないと思いがちだが、
上記の議論からわかるように、
知能や心の発達は、
進化の前後とは一切関係しない。


視覚や嗅覚の発達が、
進化の程度とは関係せず、
生態によって決まってくることと同じである。



さて、知能や心が発達してくると何が起きるだろう。




おそらく、今の人類と同じような道筋をたどっていくことだろう。
・火を使い、道具を使い、家を立てて過ごしやすさを求める。
・家畜を利用し始める。
・植物の栽培を始める。
・言語能力を得て累積的技術を用いるようになる。
・電気エネルギーなど、肉体を離れたエネルギーを利用するようになる。



「心」は、他の獣や病原菌・寄生虫の餌食となることを嫌う。
「心」は、飢えや若い個体の死を嫌う。
「心」は、家畜や作物を奪う動物を嫌う。
「心」は、洪水を嫌う。



「知能」は、食べ物の味を調え、食べやすい大きさ・固さにするが肉体は衰える。
「知能」は、電気の力で人を助けるが、肉体は衰える。
「知能」は、自動車を生みだすが、肉体は衰える。
「知能」は、抽象概念を発達させていくが、基礎からかい離していく。


知能と心を発達させて動物は、
この動物を生みだした法則(若くして失われる多くの命が生命をつなぐ)を嫌い、
別の法則(かけがえのない大切な命)が自分たちを支配しているのだと
思い込み始める。



心と知能を発達させた動物が、
心と知能によって
世界を支配しようとすれば
多様な生命のせめぎあい、関わり合いによって
ようやく成立する生物界は成り立たなくなってしまう。





私たちはどうすればよいか。
それを教えてくれるのは、
世界を支配しようとしなかった人びと(狩猟採集者たちなど)である。



















労働と身体

お仕事お疲れ様です。


楽で金になる仕事はないものでしょうか。

そんな仕事があれば、誰でも飛び付きますよね。



江戸時代の人々は歌いながら仕事をすることで

労働が苦役にならないように工夫していたそうですよ。


けっこうゆったりとした仕事ぶりだったようです。

労働歌は、生の苦労を和らげるための

工夫だったのですね。



「金を払ってやっているんだからきちんと働け」とはならない

労働歌に、人間味を感じますね。


名著紹介『逝きし世の面影』「労働と身体」より

本来の姿を思い出そう

人は
小規模な群れを作り、
定住せず、
乱交であり、
裸体を恥じず、
耕さず、
動物を飼わず、
穀物を食べず、
子どもをしからず
平均寿命は短く
生殖能力を高齢まで維持し
その日暮らしであり
老いれば死を受け入れる。




ヒトにとって幸福かどうかを決めるのは
客観的な事実ではなく
主観であり、
自己暗示や自己催眠、
民間療法があれば
痛みを乗り越えることができた。




着の身着のままで
気ままに生きる。
それがヒトの本来の姿であった。







定住させ、結婚相手を決め、
穀物を食べさせ、
仕事に勤しませることを


ヒトは必要となどしていなかった。










ピダハン
身体の人類学
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