るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

いろいろな不都合は命がつくる

規則をつくっていくひとは
自分に都合のよい規則をつくろうとする


補助金を出して自分の会社がもうかるようにしたり、
区分けを増やして試験の回数を増やして収入を増やしたり


条件を付けて、特定の仕事に付ける人の数をうんと絞り込んだり。


自虐史観を植え付けられて気がつけば
リベラルなはずの外国人たちに中枢を握られていたり。


法を定める側の人間は
法の抜け道をつくってそれを利用していたり。


大衆には一妻一夫を押しつけておいて
何人も愛人をつくり、たくさんの子を残すのが
貴族や王であったり。


そんなことをしたがるのは全部、
子を残すためには手段を選ばなかったのが命であり、
その結果がいま生き残っているすべての命たちだからだ。


だれかが理屈をこねはじめたら
それはその命にとって都合がいい理屈だからだと思ったほうがいい。


だれかが社会問題をおおげさに言いはじめたら
それがその命にとって都合のよい制度や法律をつくるための
準備になっているからだと思ったほうがいい。


もちろん、私たちを活かし、快感を覚えさせ、感動させるのも命である。


それがなければ生きていけないのも事実。


だが、私たちが命であるということは
私たちはより有利な条件を探して付け込んでいく
性質を持つ存在であるということも事実なのだ。


文明社会は、言葉と生産活動によって作り上げられた牢獄である。
命の本来持つ性質が文明社会を牢獄にしたのだが、
命が文明を持つ限り、この状況は続くしかないのである。


(命はすべてを覆い尽くす)