るびりんブログ

鼻に風の当たる場所でなければ、頭がぼんやりしてしまって考えることができない。

定住しない世界や言葉のない世界を想像してみよう

言葉という道具が作り出す魔界について
別のブログに書いた。



人類学の知識や陰謀論の知識のない人には何を言っているのかわかりにくい内容になってしまっているだろう。


簡単に言うと、人類学は、言葉を持ったことで私たちは大型霊長類の生態としてはありえない「定住」という形態を手に入れたのであると伝えている。


陰謀論は、そうして作られた定住社会が、支配者たちの生物としての欲望を満たすための社会になっており、技術が進むほどにデストピアが実現していくことを伝えているのである。


言語学や哲学は、抽象概念を証明する手段はないことを伝えている。つまり、神や愛、友情、正義、権利などというものは、真実であるかどうかわからないというのである。


私たちが言葉を持ち、定住したことで、どれほど本来のあり方から離れてしまったのかを知ることが、今の私たちにはまだぎりぎり可能である。それは狩猟採集者たちや大型霊長類たちがまだ生き残っているからだ。


まず、定住しない暮らしを知るには、遊動する狩猟採集者たちについて知ればよい。
 『世界の狩猟民 その豊穣な生活文化』
には、犬を除く家畜を飼わず、栽培活動も行っていない狩猟採集者たちが集められている。ただし、貯蓄を行うようになると、定住型になるため、それも除く必要がある。この条件をほぼ満たすのが、ピグミー、ブッシュマン、ヘアーインディアンなどであり、彼らの生活を知れば、私たちが今受け入れている福祉や人権という考え方が、定住化の産物でしかないことがわかるのである。そして、生命の本来のあり方が見えてくるのである。


言葉のない世界を知るには、私たちに一番近い存在であるチンパンジーやボノボ、ゴリラなどの生き方を知ればよい。身近な動物では、犬や猫も十分に多くのことを教えてくれる。動物たちは言葉を持たないおかげで諦めていくことができ、生命の本来のあり方を実現できているのである。


私たちは、言葉によって定住化し、道具を増やし、抽象概念を増やし、社会制度を発達させてきたが、それは、多くの命を産んで少しだけが生き残ることで、種としての健全性を保ってきた生命のあり方を否定するあり方でしかなかったのだ。


私は、多くの人がこの事実を受け入れたとき、人類の歴史が180度転換し、人類の種としての寿命が大幅に伸びると考えている。